宮崎県と熊本県の県境
「九州のヘソ」椎葉村(しいばそん)
日本三大秘境の村中心部からさらに40分
標高900Mのお山の上の「民宿焼畑」
椎葉勝さん・ミチヨさんご夫妻が民宿の名前にされたのは
観光目的でも研究でもなく
暮らしの営みとして在る
先祖代々受け継がれてきた「焼畑」
知人を通して日本でまだ焼畑が続けられていることに驚き
その焼畑で雑穀が育てられていることを知ったわたしは
2023年の夏に初めて「民宿焼畑」を訪れ
焼畑8日後の畑に出逢うことができました
まだ森が焼けた香りの残る8日目の畑には
蕎麦の芽が芽吹いていました
縄文時代から昭和20年代までは日本中で行われていたけれど
今では日本で唯一の焼畑農家に
「焼畑農法」は農薬も肥料も要らない農法
火を入れ森の再生力を発揮させることで
何十年ものサイクルをかけ地力を蘇らせる
在来の種を絶やさず
子孫につなげるために続けられてきた
この地に暮らす人々の命の糧を作りだす農法
山の神様と火の神様の存在に手を合わせ
山の声を聴きながら焼く場を整え天気を読む
山のしきたりが生きている地がまだ日本に在った
「山と海は繋がっている
海があるから雨が降る
だからお山の上で水をつくっている」
「山の動物たちのために栗の木を植え雑木林にしています
山の美味しい栗の味を知ったら里には降りてこない」
「目の前のことをしています」
(勝さん)
2023年秋
再び「民宿焼畑」を訪れ
焼畑2年目の畑の雑穀がたわわに実っている姿をみた
そのはじけんばかりの姿と
ひと口で身体に元氣みなぎるお味に
先祖代々繋がれてきた在来の「種」に宿る
適地・適作という本当の意味を感じとりました
畑に豊かに実る雑穀と
築地のお豆・雑穀専門店さんが提供されている
全国をまわって出逢われた誠意をもって育てられパッケージされた雑穀
畑と台所その間の出来事
昔から為されてきたことに
想いを馳せたくて
「民宿焼畑」を真冬(2月)に再訪
脱穀と精製過程“稗つき”を感じきってきました
日本原産の唯一の雑穀「稗(ひえ)」
他の雑穀と明らかに違うのは
強い個性が無いこと
母性を感じる
調和的な優しい味わい
わたしは「稗(ひえ)」こそ
日本人を形容する味だと思っています
勝さんはズバリその味を
「子孫繁栄」と仰った
12月に刈り取った稗の穂を「あやす」
穂からモミを外します
焼畑は急勾配で機械など入れるわけもなく
刈り取っては籠にいれを繰り返すすべて手作業
そうして集めハウスで乾燥させた稗を
ドンチ(木槌)でたたく
ふるいにかける
かつてされていた
湯がくより釜煎りより風味が増すという
「稗こうかし」は
大きなザル(アマ)を両側で持つ二人作業であること
一日中火の番をしないとならず
火事の心配もあることから
「今はできていない」とミチヨさん
稗の脱穀精製は他の雑穀に比べ非常に手間がかかり
今では通常の畑でもお供え用以外に育てている人はいないそう
石うすで脱穀し
唐箕(とうみ)で糠(ぬか)を飛ばす
このあたりから稗の分量が
作業をするたびに少なくなっていく
ひとつぶの稗が出来るまでにそぎ落とされていくものの多さに
ひとつひとつの行程にかかる手間と時間と体力に
「希少」「貴重」という思いが強くなる
竈に火を入れ
木のへらで煎る
はじめはもくもくと湯気がたつ
稗の水分が抜けてきたら
糠の香ばしい香りがたちこめる
「これせんと風味がでん」(ミチヨさん)
「稗つき」は唐臼(からうす)で2枚皮と3枚皮を糠にする作業
何度もついて、ふるいにかけてを繰り返し
ようやく稗の食べられる部分白い粒が顔をだす
稗(ひえ)には3枚皮がある
お米は2枚、粟(アワ)も2枚
その3枚目の皮を剥くのが難儀で
油分が多いので機械にかけてもその都度掃除が必要で
手間がかかるばかりで
椎葉村では今では他に稗をつくる人がいなくなった
おそらく
椎葉村在来の稗(ひえ)は
3枚目の皮の要素が強いまま受け継がれている
この3枚目の皮の油分こそが
100年の保管を可能にする鎧みたいなものであり
お腹を満たす滋養栄養元氣の源であり
子孫繁栄の秘密なのだ
稗つきですべての3枚目の皮が剥けるわけではなく
つき切らず残った皮が秘密の栄養となっている
「ゴミが混じってると思われてねえ」とミチヨさん
自家用ならばそのままでいいけれど
現代の流通ルートでは許容されない見た目なのは想像が出来る
大事にされてきた事が誰にもどうしようもなくどんどんそがれてゆく
この風景が10年後に残っていなくても
わたし達は想像できるだろうか
ひと房の雑穀がひとつぶになるまでに
起こっていたこと為されていたことを
秘密の味と力を持つ種の未来は誰に託されているのだろう
この日初めて
お孫さんが唐臼をついた
おばあちゃんがしている姿をみて
お父さんがしている姿をみて
「僕も」とひとりでついた時の誇らしげなお顔
そして親子三代「稗つき」
胸が熱くなる光景だった
唐臼は一人より二人
例え子どもでも重しになるので
「昔は遊びながら手伝った」とミチヨさん
「土間が糠でいっぱいになって」と
そういえば
椎葉村中心部にある
国の重要文化財那須家住宅「鶴富屋敷」の土間には
唐臼が展示されていた
「稗つき」はもともと主婦の冬の仕事
体験してみてわかったけれど
体力的にとても一人で一日がかりできる作業ではなく
仕事の合間合間に何日もかけコツコツと積み重ねていくテシゴトだ
土間に唐臼があることで
冬場の家事と家事の合間に
家族団らんの時間に
賢い主婦は
子どもたちに遊ばせるように手伝わせ
一年分の家族を養う糧をつくっていたのだと思う
たとえ「稗つき」が時代にそぐわなくなっていったとしても
幼いころ聴いたオトや五感で感じたことが
何かの形で実ると信じられるような「親子三代稗つき」光景だった
そして自分も同じように
幼いころ体感したことから何かを託されているのだと思えた
ミチヨさんは稗つきの合間に
椎葉村伝統食「ひえがゆ」を仕込んでくださった
焼畑で再生され続けている生命力の強いお山の
美味しいドングリを食べ育ったイノシシの肉と煮込む
イノシシの脂が溶け稗の風味が増してゆく
「イノシシでないとこの味は出ない」
手のひら一杯の稗が膨らんでこの地に生きる人々のお腹を満たしてきた
手のひら一杯の稗が出来るまでの
途方もない手間を想いながら
ひと口で稗つきに要した労力が元に戻り
ふた口三口と頂くうちに
ここへ来たときより何倍も元氣になってしまう
大地と台所の間にあることを感じたくて
三度、椎葉村「民宿焼畑」を訪れた
想像できないでいた空白の部分が
椎葉村の昔から大事にされてきた暮らしに思いを馳せることで
環になると同時に安心感に包まれた
稗の三枚目の皮の秘密を知れる場はここにしかなく
未来は誰にもわからないけれど
わたしは台所でいつも想像していたい
パッケージされるまでに起こっていること
かつて行われていたこと
完全な環として想像できるいのちだけを
手に取り次につなげたい
誰もが環を巡らす立派な一員なのだ
勝さんが「焼畑」を時代に掲げておられる姿に
ミチヨさんの静かだけれど限りなくキュートな台所立ち姿に
非常に感銘を受けました
家族の一員のように過ごさせていただいた
真冬の四日間の滞在最終日の朝に
まさしくソラとテシゴト人(びと)である勝さんに
「ソラトテシゴト」と書いて頂き
魂が震えました
ソラトテシゴトしかない土地
椎葉村・民宿焼畑
また参ります
ありがとうございました